【あるがまま」とはなんなのか 半生を振り返り、自己を確立することについて考えてみる

 人間というのは難儀なもので、他人に配慮することと卑屈であることを混同し勝手にへりくだる人がいる。そういう人の決まり文句は、「自分なんかが恐れ多い」、「申し訳ない」、「自分なんかが~していいのだろうか」、なんていう言葉である。そこには、どんな気持ちがあり、どんな心の動きがあるのだろうか。

 

・結論から言うと、『自信』

 

 こういったことを言う人達は、みんな自分に自信が無い。他の人は自分よりもなんとすごい能力を持っているのか、すごい人なのか、という他者への尊敬やらへりくだる気持ちだけが際限なく肥大し、それを自分を比べて自己の価値を自分で決めてしまう。だからそれが言い回しや立ち振る舞いに出る。

 創作活動なんかで自分より上手い物が作れる、フォロワーが多いとかでそういう負い目や引け目を感じることもまああるだろう。だが、そうでなく普通に生きているだけでも、他人に対して無条件で卑屈になる人がいる。何故、そういう人は自分に自信が無いのだろうか。

 

・それは、『自己肯定感の欠如』と『自身の揺るぎないよりどころが無い』から

 

 自己肯定感、というのは長い時間をかけて育てるものだ。他者に褒められることでそれは少しずつ形成され、人格に大きな影響を与える。これが無い人は「自分なんか」、という言葉を心の中で思い浮かべるようになり、他者と自分を比較せずにはいられなくなる。

 揺るぎないよりどころ、というのは、単純に自分にとって一番自信があること、というやつだ。自分は誰よりかけっこが速いとか、力が強いとか、料理が美味いとか。他人にはできないことができる、他人より優れている点を自分自身で信じることで、それを自分の価値として認識する。これがある人は「自分なんか」、なんて思わないし、むしろ「でも自分はこんなことができるんだぞ」、みたいな感じで劣等感に対する抵抗力を発揮することができる。

 

 自己肯定感は行き過ぎると自己陶酔、独りよがり、ナルシストになり、根拠なく他人を貶めるようになる。

 よりどころは社会的ステータスにそれを置くと人間がねじ曲がりやすい(教員である、学者である、医者である、弁護士であるなど)。それに、自己防衛の手段に「あいつはこれができないから無能」、などのよりどころ自体を他者への攻撃として使い始めることもある。

 

 なんでこんなことを書き始めたかというと、まあ結局自分語りをする前置きである。

 

・自己肯定感と無縁の学生時代

 

 自分は小中高と一貫していじめられていて、教員も碌な人がいなかったので自己肯定感なんて欠片も持っていなかった。何事にも「自分なんか」という言葉をつけてやる前から諦める。今思えば、「いじめられるのが当たり前」なんて思っていたフシもあったかもしれない。正気じゃない。でも、とりえも自己肯定感も無い人間がそうなるのは無理からぬことであり、日本の学校制度の欠陥だとも今では思う。担任一人で生徒数一クラス30人以上の子どもを見るのは物理的に不可能だ。

 今では副担任制度も普及しているが、二人いたところで30人を半々で見るわけでも無し。結局副担任は担任に対してさしでがましいことはできないのであんまり意味があるとは思えない。

 

 閑話休題

 

 そうやって形成された人格は、人と話す時相手が自分より上なこと、相手が自分を好きでないことを前提に考えるようになり、顔はうつむきがちで卑屈な性格になっていった。

 

・よりどころを得る

 

 大学に入ってもその状態は長く続いた。ここまできたらいじめなんかはまあ無くなっていたのだが、根拠のない自己肯定感の低さは治らない。そんな毎日の中で、小説を書き始めたことをきっかけに少しずつ自分が変わっていった。

 小説を書くのは本当に忍耐のいることで、人が数分から数十分で読むものを二日も三日も一週間もかけて書く。そんなことをしていると、投稿した作品のコメント欄で誹謗中傷されてもそれを客観的に見ることができるようになる。「この人の意見は論理的でないな」とか、「この人の言ってることは論理的に正しいな」など、それがただの悪口なのか、ちゃんとした感想なのかがきちんと理解できるのだ。今まで卑屈になんでもかんでもへりくだっていたのが、他人の意見を聞いたうえでそれを否定や肯定、内容の吟味と精査ができるようになった。

 それに、普通に人と話す時だって無意識に引け目を感じることは無くなった。自分は百話以上、2MG(メガバイト)も物語を書いた。それが大学で特に趣味もなくバイトで金を稼いでは遊び惚けているような奴らに劣っているわけがない、という価値観を得ることができたからだ。だからといって彼らを侮るわけではない。金を稼いで遊ぶこと自体は本人たちの自由なのだから、それについてどうこう言うつもりもなかった。ただ、他人には容易にできないことを自分はしている、という自負が、自分に長年備わっていなかった心のよりどころを与えてくれた。

 

・得たものに支えられる

 

 よりどころを得ることにより精神の安定はしてきたものの、すぐに祖父の介護が始まり心労で創作活動ができなくなってからはまた鬱屈した日々に逆戻りしてしまった。介護したといっても相手はそれを感謝などしない。むしろ勝手に住み着いてると思って(祖父と自分の二人で住んでいた)、要介護度認定のヒアリングでは「一緒に住んでない。勝手におるだけや」と面と向かって祖父に言われたこともある。韓国バーにはまって数千万あったはずの財産を全部失い、年金担保に銀行からお金まで借りていたことが発覚して貯金通帳を取り上げた時は、鬼か悪魔のように罵られた。

 一度だけ高校の同窓会みたいなものに行ったが、同い年の友達だったはずの奴らは自分を無職の無貯金男として舐めてくる。そして話す内容は仕事と女と風俗の話ばかり。自分たちがなりたくないと言っていたはずの姿に、すっかりなってしまっていた。介護と言いながら社会から逃げているだけだろう、と。あれから同窓会には呼ばれていないが、もし呼ばれても二度と行かない。

 高校を辞める時、職員室で他の教員に言われていた、と良くしてもらった同僚から聞いた。辞めることは逃げなのだそうだ。

 

 そんな日々の中で自己肯定感など育つわけもない。心のよりどころを得ることはできたが、それを深めるための活動をする精神力を確保できなくて、また自分はふさぎ込んでいった。だが、それでもまた活動したという想いが、日々に絶望することを食い止めていた。

 

・劣等感との決別

 

 そして、ついに介護の終わりが来た。そこに至り、自分の中には新しいよりどころが生まれていた。自分は十年近く介護をし、それをやり切った。これは、世の中を探しても同じことをした人はそうそういないだろう。この事実は、自分にとって揺るぎない自信となった。

 無一文になって死にそうになりながら派遣で駆けずり回っていた時も、自分はこんなにも困難なことをやり切ったのだ、と思えば他人がどう思っていようがどうでもよかった。たしかに人から見れば今の自分は落ちぶれに落ちぶれたしょーもない人間だが、自分にとって、自分は困難な偉業を成し遂げたすごいやつなのだから。

 

 自分に自信が無い人は、なにか趣味を持つことを勧める。それがある程度モノになれば、いずれ人生の助けになるだろう。

 

・終わりに

 

 自分は元々いじめられた側の人間なので、自己肯定感の無い人の気持ちも分からないではない。ついつい自分なんか~とか恐れ多い~なんてへりくだってしまうものだ。だが、敢えて言うとそう思うこと自体が途轍もなくしょーもないことである。余所は余所、ウチはウチ。他人と比べるから自分なんか、なんて尺度が出てきてしまうのだ。そう思うことは、自分を大切に思ってくれている人、評価してくれている人を見ていない。失礼なことである。

 もしそんな人がいないと本気で確信しているなら。自分自身が、自分に対してそう思ってあげよう。実際、自分はそうしている。たとえ世界中の誰が何と思っていようと、自分は文字が書けて、つらく苦しい介護を乗り切り、今現在人生で一番日当が高い状態までたどり着いたハングリー精神の塊である、と。自分自身で自分を信じるのである。

 

 最後に自分を助けるのは自分だ。だから、自分を自分だけは信じてあげよう。